「我足るを知る」と「ベストを尽くす」

両方の言葉とも私の好きな言葉になります。
でも、なんとなく相入れない気がしませんか?


AIで調べてみました。

「我足るを知る」とは、自分の持っているものや現在の状況に満足し、それ以上のものを過度に求めないという東洋的な思想。
欲望に際限なく振り回されるのではなく、今ある幸せや豊かさに感謝することで、心の平安や満足感を得ることを目指す。
無駄な競争や比較から離れ、精神的な安定と穏やかな生活をもたらす。


「ベストを尽くす」は、目標や課題に対して、自分の能力や持てる力を最大限に発揮し、努力し続けるという西洋的な思想。
現状に甘んじることなく、常に向上心を持って挑戦し、自己成長や成果の最大化を目指す。
成長や達成感、目標達成による成功体験をもたらす。

「我足るを知る」 で「結果」や「物質的な報酬」にとらわれすぎない心の姿勢を保ち、「ベストを尽くす」 で「プロセス」や「自己の成長」のために努力する、という区別ができる。

つまり、結果がどうであれ、その過程でベストを尽くしたという事実に満足する、という捉え方が可能だと。


「我足るを知る」だけでは、成長や進歩が止まってしまう可能性があります。「ベストを尽くす」だけでは、常にストレスや不安を感じ、心が休まらない状態になる可能性があります。この二つの考え方をバランス良く持つことで、精神的な安定を保ちつつ、充実した人生を送ることができるようになるわけですね。

「我足るを知る」は心の充足に焦点を当て、「ベストを尽くす」は行動と成長に焦点を当てています。どちらも大切であり、賢明な生き方とは、この二つの哲学を状況に応じて使い分けたり、統合したりすることにあると言えるでしょう。

確かにその日の気分や体調で、今のままで十分と考える時もあるし、いやいやもっともっと頑張って、みんなにも喜んで貰いたいから何をしたらいいかな?とか、もっと自分を磨きをしなくちゃ!と思ったりしますので。

私は「我知」&「Do my best」の日々続くわけですね(笑)

上の画像、「龍安寺 つくばい」なんですが、これで「吾唯知足=われただたるをしる」ということです。
水戸光圀が龍安寺に送ったつくばいだそうです。
つくばいとは、縁側近くの庭に備えてある手水鉢(ちょうずばち)のことですよ。

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