桑田佳祐とは違っても

日曜日の初耳学。たまたまサザンオールスターズの桑田佳祐だったので、連れ合いが好きだから録画しておいた。折角録画したんだからと流していたら、結構見入ってしまった!まあここまでヒットを飛ばしてきた桑田佳祐なのだからいろいろな苦労もあったはずですものね。

『22,23歳の頃に、ビクターのディレクター高垣さん(当時サザンを発掘した人物)が、自分たちのことをよく𠮟ってくれて今でも感謝していると。「ライブの作り方」「お客さんの接し方」「お客さんを大事にする」など本当に叱ってもらい、矯正してもらい、教えられた。本当に今でも良かったと思っている。

20代の頃に叩き込まれた「お客さんをもてなす心」その教えを大切にしているサザンを一番笑顔にする場所は、それはド迫力のライブみんなを笑顔にしている。』

文句なく桑田佳祐は常にお客さんをもてなしている。

楽曲作りは徹底して聞く人を大切にするお客さんファースト

「すべてはお客様の笑顔のために」と。

はたと、私はきちんとお客様のためにと日々頑張れているのだろうか?喜んでいただけるものを作っているか?マンネリ化していないだろうか?と自分自身を振り返った。お客様に喜んでいるものを作りたい。笑顔にしたい。健康でいて貰いたい。そう思って始めたんじゃなかった?

『桑田佳祐もまた「引き際」ということを考え始めた。それは1990年代の後半。
サザンの曲が売れなくなったという現実。われわれもそろそろ潮時かな…と考えた。

そんな時に生まれたのが「TSUNAMI」日本のロックバンド売上史上最多の293万枚。
ネガティブに落ち込んでひっぱりあげて貰った曲。「売れるだろう」なんて気持ちがなく、たまたまできた曲だった。

「ピンチだと思った時、いい場合はある」自分を鼓舞するというか、このピンチの状況の中にひそかに「負けないぞ」と思うことがいいことかも。

「いとしのエリー」も「真夏の果実」が、ネガティブな心情を抱える中で生まれて来た曲と同じように、「TUNAMI」も潮時かもしれないとまで思いつめた「つらく切ない心情から誕生」から生まれたものだったと』

私にも経験がある。年齢と共に目が良く見えなくなってきた。眼鏡をかけても生徒のパソコンの画面をまじかで覗かなければ見えなくなってきた。そろそろ私もこのパソコンインストラクターの仕事は潮時かな?と考えた。しばらくはあがいたけれど、その後引退。仕方なかった。そして確かにとても切なかった。20年以上関わってきて、一緒に頑張ってきた仲間もいてくれたし、生徒たちもいたから。

いろいろな人たちと出会い私が育てて貰った。教えているなんていうのはおこがましいことだった。そして私の知っていることは一生懸命伝いたいと願い工夫をして教えて来たつもりだった。ありがたいことに今でも連絡を取ってくれてくれる生徒もいる。この仲間や生徒たちは私の財産に間違いない。

日々過ごしていると「負けないぞ」と言う気持ちと「もうそろそろいいんじゃないの?」という気持ちとのせめぎあいも確かにある。昨日参列した同窓会では「これからまだ新しいことをしようなんて驚きね!」と散々旧友に言われた。違う生き方もあると思うよと。素直に言ってくれるのも旧友のありがたさ。

それでも、まだ私にできることがあって、喜んで下さる方がいるならばやってみたいことはある。
マンネリ化せず、新しいことに挑戦して自分自身もまだまだ成長していきたい。
私の思いでいろいろな方にご負担やご迷惑おかけすることも多いと思うけど一歩でも前に。

桑田佳祐のように大きなことはできなくても、毎日1㎝でも前に行けたら、1年後には3m65㎝も前に出ているよね。
オリンピックじゃなければさ(笑)


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