当たり前を疑う

自分の育ってきた環境や学んできたことで物事を判断しがちですよね。
学生の時などは、同じ環境の中にいて、同じ先生に習っていて

ほぼほぼ似たような考えを持つ仲間に囲まれて暮らしていた気がします。

そして長野に嫁いできて、えっ?そんな考え方する?
理解できないことがあったり、価値観が違ったり、驚いたことが多々ありました。
それも昔のことになりましたが。

物事を自分の価値観で判断して「なんかおかしい!」「それは変だ!」とか
勝手に決めつけたりしていたこともあったのですが、
今や私もしっかり長野の価値観で生きていますね~。
だって、こちらでの生活の方がずっと長くなっていますから。

普段無意識に与えられたものを受け入れちゃっていませんか?
「本当にそうなの?」
「それ間違っていない?」
と考えることって難しいけれど、大切な事なんじゃないかな?と
思うんですよね。

否定するのではなく、疑問に思ってみるとか。

ただただ人の言うことなどを「そうなんだ!」と受け入れていたら
思考停止になってしまうし。

もし、「なんでそうなの?」と考えてみると
違う考え方が生まれたり、

いろんな捉え方があることに気が付くかもしれないから、
自分自身の成長にもなるんじゃないのかな?

ソクラテスが「自分が何も知らないことを自覚している」

という真の知識への第一歩となる概念を「無知の知」と言うそうで。

「知識があると勘違いする人」よりも、

「無知を自覚する人」の方が賢いとし、

問いを通じて真理を探求する謙虚な姿勢を説いたそうです。

 知ったつもり(思い込み)は成長を止める最大障壁であり、

自分が「知らない」と認めることで

真の知識や探求の欲求が生まれると。

自身の知識に対する謙虚さを保ち、

常に学び続けることが重要なんですね。

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